祖父の代から数えて66年。
信州の木と、家族の暮らしに向き合い続けてきた、ものづくりの物語。
1958年、祖父・山木一平が、上田の地で大工として独立しました。当時の信州は、戦後復興と高度経済成長期。手仕事の家から、規格住宅への移行が始まる、まさに転換期でした。
祖父は、「木はその土地で育ったものを、その土地で使え」と言い続けた人でした。信州の杉と檜だけで家を建て、一棟一棟、施主の家族と話し合いながら設計する。それが、当時から変わらない山木建築工房のスタイルです。
大量生産・大量消費の時代に、頑固に手仕事を守り続けた祖父。その姿勢が、今のYAMAKIの土台になっています。
高校卒業後、私は京都の宮大工の元へ修行に出ました。父からは「家業を継ぐ前に、本物の木組みを学んでこい」と言われていました。
7年間の修行で学んだのは、釘や金物に頼らない伝統的な木組みの技術。何百年も前の建物が今も残っている理由を、自分の手で確かめる日々でした。
京都・奈良の社寺仏閣の修復に携わり、「100年残る木組み」の真髄を体に叩き込みました。この修行が、後にYAMAKIの古民家再生の仕事に直接つながっていきます。
2002年、信州に戻り、父の元で工務店の仕事を始めました。修行で学んだ伝統工法と、現代の住まいに必要な性能(断熱・耐震・水回り)を、どう融合させるか。日々の仕事は、その問いとの対話でした。
父からは「お前が継いでから、家の建て方を変えていい。ただし、家族と向き合う姿勢だけは変えるな」と言われました。
2010年、三代目に就任。それから、現在のYAMAKIの形——「家具職人が建てた、20年後に味の出る家」というブランディングを、少しずつ作り上げてきました。
三代目就任後、私は伝統工法に「現代の性能」を組み込む工法を研究してきました。土壁の上から外断熱を入れる方法。古い梁を活かしつつ耐震金物で補強する方法。古民家でも温度差のない暮らしを実現する断熱計画。
この10年で、限界耐力計算による伝統工法での耐震評価、ZEH基準を超える断熱性能、そして自然素材だけで仕上げる住まい——この3つを両立できる工法を確立しました。
230棟以上の施工実績は、その積み重ねです。
コロナ禍を経て、人々が「家」に求めるものが大きく変わりました。短期的な効率ではなく、長く住める家。表層の流行ではなく、本物の素材。私はその変化を、追い風だと感じています。
2024年、東京・千駄ヶ谷にサテライトを開設。信州の家を、東京の方にも。「家具職人が建てる家」の輪を、少しずつ広げていきたいと思っています。
そして、いつか息子たちが、四代目として山木建築工房を継いでくれる日を夢見て——今日も、信州の山で、木と向き合っています。
流行の素材は使いません。100年使われ続けた素材だけを、これからも選び続けます。
家族構成・身長・暮らし方。一棟ごとに、その家族のための寸法で家を建てます。
見積書の内訳、工程の進捗、職人の手当て。全てをお見せします。隠すことはありません。
骨組みが立ち上がる「棟上げ」の日。施主・親族・職人が集まり、ものづくりの節目を祝う。YAMAKIでは必ず施主参加の上棟式を執り行います。
京都の修行時代から使い続けている鉋(かんな)と鑿(のみ)。研ぎ続けて30年以上、まだ現役で活躍しています。道具を大切にすることが、職人の基本です。
家は、棟梁ひとりでは建ちません。
信州・東京の名工と組んで、一棟ずつ仕上げています。
小林左官(上田)
漆喰・聚楽壁・土壁
山口建具店(松本)
木製サッシ・障子・襖
中村瓦工業(小諸)
いぶし瓦・釉薬瓦
花咲園芸(諏訪)
和風庭園・坪庭・植栽
過去の施工事例32棟を収録した事例集を無料でお送りします。LINEで間取り相談・敷地相談も承っております。